映画日記

hirocco2006-12-22

「暗いところで待ち合わせ」


私に必要なものは、ひとりで映画館で映画をもっと見ること。それに気がついたので、さっそく出かけた。そして選んだのがこれ。田中麗奈ちゃんは、年を重ねるごとに気になってきた女優さんなのでこれを見ることにした。
やっぱりすごくよかった。今回は目が見えない役なので、目に力をいれたりする演技がない。おでこにしわを寄せても、目はどこか遠くをぼんやり追っているような演技になる。今までは、目力が魅力的だと思っていたが、それは彼女の魅力のほんの一部分に過ぎなかったようだ。この映画では本当にこの世のものとは思えないくらい、澄んだ空気を常に漂わせ、私はどんどんと彼女の魅力に飲み込まれていった。きれいな人間を見たような気がした。


話としては、ある殺人事件が軸としてあるのだが、私はこれを一人の女性の小さな前進を言葉を使わず描いたものだと感じた。
人間は勝手なものだ。自分でわかっているけど出来なくて抱え続けていることがあるとき、それをどんなに親しい人でも直接的な表現で「こうすればいいのに」とか「こうしなさい」とか言われると、「もぉぉぉぉ、いわれなくても一番自分がわかってるんだよ!」と思って反発して、逆の行動に出てしまったりよけいに頑なになってしまう。でも、間接的な言葉だったり、行動だけだったり、そういう中で「自分で気づけた」と感じると、思ったより簡単に一歩踏み出してしまったりする。「自分で」と思えることでしか、人は自発的になれないのだろう。
この間接的な方法として、この事件はうまく設定されている。


最近の映画鑑賞を通して、人間が他者に求めるものは「理解」、自分に求めるものは「気づき」なのかもしれないとそんなことばかり考えている。