映画日記

妻として女として / 監督 成瀬巳喜男

大学講師の河野には十数年続いている愛人がいる。妻はその愛人の子供二人を事実を隠して育て上げた。愛人の三保は河野からバーを与えられ、雇われママとして働き、毎月10万円を河野の妻に渡している。三保が自分を取り巻く環境を見つめなおすことから、この不自然に保たれていた関係が一気に崩れる。


話に関係ないところで面白いところがあった。三保は店の客である南(仲代達矢・独身)にいろいろと相談にのってもらっていた。南は三保に好意を寄せているのでわりと親身になっていろいろと調べたりもしてくれる。しかし、三保が一番頼りにしたい時に南はびっくりするほどそっけなかったのだ。どうしても今夜会ってほしいと頼む三保に南が答えたセリフは
「今夜はだめだよ。明日からアフリカ出張なんだ。3ヶ月もすれば戻ってこれると思うよ。」
驚きである。今夜どうしても力になって欲しいと頼み込む女に、このセリフをさらっというのだ。それもどうも心のそこから詫びている様子もない。この場面は興味深かった。男女の恋愛に対する温度差をさらっと端的に、それでいて女の側から見れば青天の霹靂くらいの勢いで表現している。ま、今は男女逆な場合も多いだろうけど、やっぱり恋愛において相手に過度な期待と依存は禁物であると改めて認識させてくれる重要な場面であるように思う。


もうひとつの場面は、三保が女友達と連れ立って旅行に行く場面。その女友達のうちの一人のパパ(愛人)がみんなを連れて一緒に旅行をしているのだ。友達はみな愛人もしくは、愛人をへて正妻になった人ばかり。この場面がものすごく面白かった。うまい言葉がみつからないのだが、この場面があるのとないのとでは全然違うような気がした。私だけかもしれないけど。


「○○のために我慢している」とか思って暮らしている人は、この映画を見てそんな暮らしはばかばかしいと気づくといいと思う。結局、他者が自分に求めるものは、自分が思っているほどに大きいものではなく、期待に応えようと頑張れば頑張るほど他者にとってはただ都合のいい人になっていってしまうものだからだ。そのことに気がついて他者を責めても救いはない。ならばせめて、○○の部分を「自分」に置き換えて自分のために頑張って生きたほうがよいと思う。


毎回だが、成瀬巳喜男は見終わった後から効いてくるなぁ。