「停電の夜に」 ジュンパ・ラヒリ

停電の夜に (新潮クレスト・ブックス)
日常生活のとりたてるでもない、だけど確実にある悲しみを感じた。
人間の気持ちなんて、本当に不安定なものだ。
ちょっとしたきっかけで世界はがらりと変わってしまう。
昨日まで素敵だと思っていたものの、その何が素敵だったかさえも分からなくなってしまう。


私が一番好きな短編は「sexy」
主人公は若い、しかしごく自然に不倫をはじめてしまう。
妻が不在の頃はまるで恋人同士のように極上の時間が流れた。
そこへ妻が帰ってきた。ここがまずひとつめのつまづき。
極上の時間をともに過ごした男は、それからは彼女の家に「ランニング」を口実にやってくる。
夢のような時間を過ごしていた彼女に現実がつきまとう。
だけど、男は相変わらず彼女の何かを満たし続け、週末ごとに「ランニング」にやってくる。
とあるきっかけで、彼女の気持ちはがらりと変わってしまうのだが、本当に良くわかる話だった。
男が電話をかけてくる、妻に隠れて家の隅で。
男は彼女の全てを手に入れたと思っている。
妻との問題ない生活の上に、若い恋人さえも手に入れている自分に男は少し酔っている。
彼女は男が酔っていることに、気づいてしまう。
その瞬間、彼女は現実と向き合う。
この心の移り変わりの様がなんとも、絶妙に描かれている。


それと「ピルザダさんが食事に来たころ」はぐっとくる話だ。
少女が「遠く離れている人を思う」という気持ちを理解する話なのだが、本当にぐっとくる。


いづれも、「新しい世界と出会い戸惑う中で得られる何か」を描いているのだが、どの切り口も斬新でそれでいて、どこか懐かしい記憶を呼び起こさせる。
本屋さんで何気なく手にした1冊でしたが、大当たりでした。


アンチョビ評価 ★★★★★

【余談】
先日、本屋さんへ行ったら「アフターダーク」が平積みになっていた。
興奮を周囲に悟られないように、手にとっていたら本を積んでいた店員さんに
「新刊でございます」
と声をかけられた。
心の中で、「だから買うのでございます」といいながら微笑んでしまった。
本屋で店員さんに声をかけることはあっても、かけられることは初めてだったのでかなり驚いてしまった。
きっとあの店員さんも村上春樹が大好きに違いない。