人の人生ばっかり見ていていると少し調子が悪くなる

嫌われ松子の一生

嫌われ松子の一生 (上) (幻冬舎文庫)

嫌われ松子の一生 (上) (幻冬舎文庫)

嫌われ松子の一生 (下) (幻冬舎文庫)

嫌われ松子の一生 (下) (幻冬舎文庫)

松子は、私だ。と思う女の人は多いはずだ。かくいう私もその一人。
新聞の広告で私は、「嫌われ松子」と出会った。そのときはもう映画化が決まっていて、中谷美紀が松子への思いを語っていた。「嫌われ松子」と中谷美紀。読まないわけにはいかないだろう。結局すっごい勢いで読んでしまった。ぶっ通しで読む時間は相変わらずないので、中断するのだが続きが読みたくて読みたくて、ほんの少しの時間でも手にとって読んでいた。こんな気持ち久しぶりだった。


ふれこみ通り、松子の一生は波乱万丈だった。最初の修学旅行後のごたごたのあたりまでは、正直読むのがしんどかった。もともと私はああいったごちゃごちゃした場面が苦手なのだ。それに松子はあまりにも短絡的すぎる。そして視野が狭い。こういう人が、流されるがままに人生を送るとこうなるんだなぁ、とするりと納得してしまった。ひょっとして男の人にはあんまり理解できない部分があるかも知れないが、女の人なら肯定・否定は別として、松子の行動はたいてい理解できるのではないだろうか。


私も、決して男運がいいとは言えない人生を送ってきたが、幸い今はまっとうに暮らしている。私はもともと「ちょっとだめ」な男に魅力を感じてしまうのだが、それがいけないそうだ。交際が深まるまでは、男も女もみんな精一杯自分をよく見せようと思うのが常だ。しかし、その段階で「ちょっとだめ」という部分があるということは、実際には「相当だめ」なのだというのが理由だ。これには私も納得してしまった。なるほど。確かに夫は交際当初は完璧かと思い、そんな人と交際している自分が不思議だったのだが、今は「ちょっとだめ」なところがいっぱいあることも知った。普通の人はそれぞれ「ちょっとだめ」な部分を抱えて暮らしているのだ。話が、それてしまった。


嫌われ松子の一生」を読んで得るものはない。だが教訓はあるような気がする。これからの人生、私は十分に松子になる要素を持ち合わせているからだ。


「さくら」を読んでからこの「嫌われ松子の一生」へと流れ込み、今はこれを読んでいる。

空中庭園 (文春文庫)

空中庭園 (文春文庫)

(映画化決定!の帯がついているものを続けざま。昔の自分からは考えられない。)
そしてその間に、ジョゼと虎と魚たちを見た。なんだか頭がいっぱいで、気持ちがついていけていない気がする。そして少し疲れている。そういえば、ジョゼで板尾創路が出ている場面は、どんな場面でも板尾ワールドになってしまっていた。すごいな、板尾さん。ジョゼのコメンタリーでも板尾さんが画面に出るとものすごい吸引力があると言われていた。納得。そんな板尾創路が出る「空中庭園」まだ読んでいる途中で、今のところ素晴らしい原作かは疑問だが、きっと見るだろう。