秘密の定義とは何なのだ?

夏至

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三姉妹のそれぞれの秘密の物語。「空中庭園」から秘密つながりか?これは劇場公開時に母親と一緒に見たのだが、半分以上話を忘れていた。こまぎれな場面だけを覚えていた。もうあと数日でベトナムへ出発するので、夫への景気づけの意味もかねて観賞。まあ、夫婦の間で秘密のことなんていうとそれはほとんどよその女や男のことなんだけど、これもそういうお話。
話よりもベトナムの雰囲気を読み取ることに二人とも力を注いでいました。残念ながら舞台がハノイなので、どんぴしゃではないし何年か前の映画なのですごく変わっているところも多いだろうけど、とにかく雰囲気を読み取る。この映画を見てからだったら、ホーチミンじゃなくてハノイにいったかもなぁと思ってみたりもする。
そして風呂に入りながら、「秘密」について考える。秘密を持たない人間なんていないのだろう。今日の自分に起こったことをまるごとぜんぶ相手に伝えて、そのときに感じたことやなにもかもをぶちまけていたら、伝えられるほうはうんざりするだろう。だから毎日すごく話をする二人でも、適当なところで折り合いをつけて話をしているのだと思う。特に、思ったけれどそのまま伝えてしまうと相手が傷ついてしまうことが分かりきっている場合、そこのところはうまくうまく薄い膜に包んで、自分の中にしまいこんでしまう。自分の中にしまいこんでしまうこと、その全ては「秘密」と呼ばれる。若い頃は、秘密を持つことは罪だと思っていた。いいこともいやなことも全部相手に伝えるべきだと思ったし、それがいやならば私とは一緒にいないほうがいいとも思った。今にして思うと、そうとうつらいことを要求していたと思う。「秘密」を貫くためには「嘘」をつかなければいけない。だから私は「秘密」を持ちたくなかったのだろう。今では私はかなりの「秘密」を持っているのだと思う。この日記をつけているのも、夫にはまったく知らせていない。
先日読んだ「さくら」に胸がぐっとなる「嘘」についての言葉があった。(ああ、さくらはぐっとくる言葉だらけの本なのだが)
おかまバーをやっているお父さんの同級生が、子供たちに「嘘」について教える場面だ。


嘘をつくときは、あんたらも、愛のある嘘をつきなさい。騙してやろうとか、そんな嘘やなしに、自分も苦しい、愛のある、嘘をつきなさいね。


それを「嘘」とは呼ばないと私も思う。「秘密」を持ってしまったら、「愛のある嘘」をつけるようにならなければいけない。それが出来ないと、ただまわりの人を傷つけてしまう。それはあまりにも自分本位だ。私は、愛のある嘘がつけているだろうか?ひょっとして周りの人を騙してはいないだろうか?そう自分に問いかけてみる。


関係ない話だが、昨日3年前に分かれた恋人から何度も携帯に電話がかかった。何度もかかってくるあたりのしつこさで、私にはこの知らない番号が誰であるのか、うすうす見当がついた。5回目の電話で、夫が出た。相手は言葉に詰まって電話を切ったという。私は彼にひどい嘘をついたことがある。真実を伝えれば、彼はこんな何年もたって私に電話をかけてくることは無かったのかもしれない。あのとき私は、自分のついた嘘は「愛のある嘘」だと思っていた。だからこそ、最後まで自分が楽になるためだけに打ち明けたりはしなかった。これを書いている自分は、まったくひどい人間だ。書いていてうんざりする。だけど、これが私だ。私も、こんなひどい自分にうんざりしながら、つらい気持ちにならなければいけないのだ。それは報いなのだろう。