映画日記

「CAPOTE」

書くこと。
村上春樹いわく、書くことは自己療養へのささやかな試みにしか過ぎない。斎藤孝は、書かれたものには読んだものにその素晴らしさを伝えるような内容が含まれていることが重要だという。そのどちらも正しいと思う。私はこのささやかな文章を書くことによって、自分自身と向き合うという行為も同時に行い、考えさせられ、癒される。読んだ本や見た映画などの感想を書くのだが、なるべく良かった部分に触れてそこから触発されたものを書きたいとも考えている。それが、今、現在の、私の、書くこと。
カポーティにとって書くこととは、なんであったのだろうか。会話の内容を94%覚えているんだよ、という彼にとって、嘘と偽善をまじえた会話をもとにどんな心で「冷血」を書き進めていったのだろうか。そう考えたときに、私が考えていた【書くこと】の定義が揺らぎだした。あの事件を通して、伝えたいことはきっとあったはずだ。人は何かを伝えるために書く。
書くことは孤独な作業である。そして、自分の深い井戸の底に入って何かを取り出しながら(ときにはえぐり出しながら)人は書く。この世界は素晴らしいものであふれていて、私たちはそれを心の底から伝えたいという欲求を抑えられずに書き出す。たとえ、上手くいっても、いかなくても。