「REVOLUTIONARY ROAD 」

閉じていくお話。
子供の頃は多くの人が自分は『特別』だと感じていたかもしれない。だけど、だんだんと広がる世界と向き合ううちに、だんだんと「自分は『特別』ではない」という事実を受け入れていく。
まれにその事実を受け入れることなく大人になってしまった人たちがいる。そういった人たちはたぶんあまり幸せではないのではないかと思う。いつまでたっても目の前の事実が受け入れられないからだ。いつも心は「ここではないどこか」を目指してしまう。「ここ」でうまくやれていないのに「どこか」でうまくいくはずがない。そのことにさえも気づけない。
かくいう私も、そんなひとりであった。だけど、私は夫に出会った。夫は『特別』だった。『特別』になりたがっている人たちが目指す人生を夫は歩んでいた。そして、私はひとつの事実に気がついた。
夫自身は自分の『特別』に気がついていないことに。
そうなのだ夫のような人たちは体のどこかにほんの小さな『特別』のしるしを持っている。本人たちは気づかないような場所に、だけど近くにいる人たちはどうしても気づいてしまう場所にそのしるしはある。そして私たちにしるしは語る「あなたは『特別』なんかじゃない」と。
そうして、目の前の事実を受け入れたとき、私はとても生きやすい人生を手に入れた。あるがままの私。あるがままの毎日。劇的なことは起こらない。いや、起こせない。だけど自分の努力しだいですこしずつよくなる人生。
いまのところ、私はこの人生にすっかり満足している。
だけど、この映画の主人公はどうしてもそれが受け入れられなかった。それゆえにどんどんと閉じていってしまった。とても悲しい結末だった。
本当の自分を受け入れることは、勇気がいることだ。
だけど、ずっと自分と生きていくのなら、それを受け止め、受け入れていかねばならない、と思う。